曰。然らば商人の心得は如何致して善からんや。
答。最前に云る如くに、「一事に因て万事を知る」を第一とす。一を挙て云はヾ、武士たる者、君の為に命を惜まば士とは云はれまじ。
商人も是を知らば、我道は明かなり。我身を養るヽうり先を、疎末にせずして真実にすれば、十が八つは売先の心に合者なり。
売先の心に合やうに商売に情を入勤なば、渡世に何んぞ案ずることの有べき。且第一に倹約を守り、是まで一貫目の入用を七百目にて賄、是迄一貫目有りし利を九百目あるやうにすべし。
売高拾貫目の内にて利銀百目減少し、九百目取んと思へば、売物が高直なりと尤らるヽ気遣なし。無ゆへに心易し。
且前に云尺違の二重の利を取らず、染物屋の染違に無理せず、倒たる人とうなづき合て礼銀を受け、負方中間の取口を盗まず、算用極めの外に無理をせず、奢りを止め、道具好をせず、遊興を止め、普請好をせず。
斯のごとき類尽慎止る時は、一貫目設る所へ九百目の利を得ても、家は心易く持るヽ者也。扠利を百目少くとれば、売買の上に不義は有増なき者なり。
譬へば一升の水に油一滴入る時は、其一升の水一面に油の如くに見ゆ。此を以此水用にたヽず。売買の利も如是。百目の不義の金が、九百目の金を皆不義の金にするなり。
百目の不義の金を設け増、九百目の金を不義の金となすは、油一滴によりて一升の水を捨る如くに、子孫の亡び往ことを知らざる者多し。
二重の利や、倒者の礼銀や、払のしかけなどの無理、尽く合せ聚て見たりとも、それにて世帯が持るヽ者には非ず。此理は万事にわたるべし。
然れども欲心勝て、百目の所が離れ難きゆへに、不義の金を設け、可愛子孫の絶へ亡ることを知らざるは、哀きことにあらずや。
前に云如くに、兎角今日の上は、何事も清潔の鏡には士を法とすべし。「孟子曰、恒産無くして恒心有る者は、惟だ士のみ能くするを為す」と。
昔鎌倉最明寺殿、天下の政を皆相摸守殿へ譲り玉ひ、諸国を巡り玉ふは、天下の邪正を正んためなり。これ下の訴、上へ通ぜざることを歎き玉ふゆへなり。
上仁なれば下義ならざることなし。此に青砥左衛門の尉誠賢、鎌倉に於て訴を分る時、相摸守殿家人と公文と相論有しが、相摸守殿家人の無理なれども、評定の面々時の権威に恐れて理非を分ざる所に、青砥是を分明に分る。
此時公文大に悦び、其夜半に鳥目三百貫文、青砥が屋鋪へ後の山より落し入れぬ。
青砥是を見て喜びずして、残らず反し遣して言ふ様は、「相摸守殿よりこそ褒美をば受べき所なり。公事を分明に分るは、相摸守殿を思ひたてまつるゆへなり。天下の理非正きは、相摸守殿喜び玉ふべき所なり」とぞ言ける。
かくの如き者は士の中に入べし。才知は青砥に劣る人も有るべし。不義の物を受ざるほどの事、青砥に劣らば士とは云はれまじ。
こヽを以て見れば、世の人の鏡と成るべき者は士なり。「子曰、蓋之有らん矣。我未之を見ず」との玉ふ。世界は広きことなれば、鼻を塞で不義の物を受る士も有べし。
若有らば、士に似て刀を指、盗人にて有ん。事を頼む者より賂をとるは、壁を穿盗人に同じ。青砥が公事を分明に分ることは、相摸守殿を思ひたてまつると云なれば、我身を脩め、役目を正く勉め、邪なきは、君への忠臣なり。
今治世に何ぞ不忠の士あらんや。商人も二重の利、密々の金を取るは、先祖への不孝不忠なりとしり、心は士にも劣るまじと思ふべし。
商人の道と云とも、何ぞ士農工の道に替ること有らんや。孟子も、「道は一なり」との玉ふ。士農工商ともに天の一物なり。天に二つの道有らんや。(巻之二 或学者商人の学問を譏の段)