歌舞伎脚本。世話物。五幕。四世
怪談物の代表作。通称『四谷怪談』。
二幕目 伊藤喜兵衛内の場
いわ 髪もおどろの此すがた。せめて女の身だしなみ、かねなと
ト
思入 あつて、
是、おはぐろ道ぐ、これ
宅悦 産ぷのお前が、かねつけても
いわ 大事ない。さヽ、はよふ。
宅悦 すりや、どふあつても。
いわ ヱ、
トじれていふ。宅悦、びつくりして、はいと
思入 。是より独吟に成 、宅悦、かねつけの道 ぐをはこぶ事。蚊いぶし火ばちへおはぐろをかけ、さんすいなるはんぞふ、そまつ成 小道 ぐ。よろしくかねつけあつて、件 の赤子 なくを、宅悦かけ寄 、いぶりつける。此内、歌いつぱいにきれる。お岩、くだんのくしを取 て、
母のかたみの此くしも、わしが死んだらどふぞ妹へ○。アヽ、さわさりながらおかたみの、せめて櫛のはをとふし、もつれしかみを。ヲヽ、そふじや。
ト又歌に
成 、くだんのくしにて髪をすく事。赤子なく。宅悦、だいていびりつける。此内 、歌いつぱいに切 る。お岩、くだんのくしをとつて思入 有り、お岩は此内すきあげ、落 げ、前へ山のごとくにたまるをみて、くしも一つにもつて、
今をも知れぬ此岩が、死なばまさしく其娘、
トもつたる
落毛 、くしもろとも、一つにつかみ、急度 ねぢ切る。髪の内より、血たらたら落 て、前成 、たをれし白地の対 ひ立 へ、其 ちかヽるを、宅悦みて、
宅悦 やヽ、あの落毛から、したヽるなま血は。
トふるへ出す。
いわ 一念とふさでおくべきか。
トよろよろ立上り、向ふをみつめて
立 ながら、息引 きとる思入 。宅悦、子をだき、かけよつて、
宅悦 これ、おいわさまおいわさま、もしもし○。
三幕目 砂村隠亡堀の場
伊右 よしなき秋山うせた
ト思入、
南無三、くれたナ、どりや、さをヽあげよふか○。
トすごき
合方 、薄どろどろ、時のかね。此時、両窓おろし、くらくなる。伊右衛門、さおを上げてしまふ。此時、こもをかけし杉戸流 よる。伊右衛門、思わず引きよせて、
ト引きよせて一方をとる。
爰 に、おいわの死がい、肉だつせしこしらへ。此時薄どろどろにて、両眼見開いて、鼠のくわへし最前の守 をもつてゐる。伊右衛門、思入有 、
お岩お岩、コレ、
ト此時お岩、伊右衛門をきつと見つめ、守り袋をさしつけ、
いわ うらめしい伊右衛門どの。田みや、伊藤の血筋をたやさん。
ト守をさし出し、みつめるゆへ、こわげだつて、
手早 、くだんのむしろをかけて、
伊右 まだうかまぬナ。南無阿みだ仏南無阿みだ仏、このまヽ川へつき出したら、とびや、からすの○。ごふが
ト戸板をかへしみる。うしろには藻をかぶりゐる
小平 の死がい。伊右衛門、見定 んとする。薄どろどろに成 、かほにかヽりしもは、ばらばらと落 て、小平のかほ。両眼見開 、片手をさし出し、
小平 旦那さま。薬を下され。
トぢろりと見やる。伊右衛門、ぎよつとして、
伊右 又も
大詰 蛇山庵室の場
いわ コリヤ、モウ、おまへ、お帰りなさんすのかへ。
伊右 ヲヽ、夜の
ト
行 を引とめ、
いわ
伊右 イヤイヤ、何のそなたをなぶろうぞ。しかし、お岩と申した、
トお岩、
是 を聞いて、
いわ スリヤ、先妻のお岩さん。
トきつと見つめ、伊右衛門、こわげだつて、
伊右 そふ
いわ 似たと思ふてござんすか。但しおもかげはさへわたる、あの月かげの移るがごとく、月は一ツ、かげは二ツも三ツ
伊右 ヤヽ、なんと。
いわ うらめしいぞへ、伊右右衛門どの。
伊右 ヤ。
ト
飛退 はづみに、持 たる鷹は鼠となつて、伊右衛門をめがけ飛懸 る。此時、さへ行 月へくろ雲懸り、うすどろどろ。黒まく落 て、舞台一めんやみのけしき。此とたんにお岩引ぬき、あやしきお岩が死りようのこしらへ。大 どろどろにて、両人、きつと成 て、
伊右
いわ ともにならくへゆうゑんせん。きたれや民谷。
伊右 おろかや、
トぬいて
切 て懸る。大 どろどろ、せうちう火あまた立のぼり、伊右衛門、心火 を切 はらい切はらい、せいこんつかれてくるしむ。よききつかけに糸車へ心火うつり、たちまち火の車となつて、かたわ車、火のつきしまゝ廻る。お岩、伊右衛門をれんりびきに引つけて、きつと見得 。どろどろにて両人をせりおろす。此道 ぐかわる。心の文字、下へ引おろす。下座で百万べんのかねの音。念仏のこゑにて道具かわる。日おゝひより、直 に雪ふつて来る。