江戸中期の武士道書。十一巻。享保元年(1716)成立。正しくは『
肥前(佐賀)鍋島氏の家臣山本
第一巻、第二巻は常朝自身の教訓、第三巻から第五巻は鍋島直茂、勝茂、光茂など佐賀藩主の言行、第六巻から第九巻までは佐賀藩のことと佐賀藩士の言行、第十巻は他国の武士の言行など、第十一巻は前十巻の補遺という構成になっている。
「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という一句はとくに有名。別名『
武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く
人に意見をして
……「喰ふか喰ふまいかと思ふものは喰はぬがよし、死なうか生きようかと思ふ時は死したがよし」と仕り候。(聞書第一)
芸は身を助くると云ふは、他方の侍の事なり。御当家の侍は、芸は身を亡ぼすなり。何にても一芸これある者は芸者なり、侍にあらず。(聞書第一)
……武士道に
少し理屈などを合点したる者は、やがて高慢して、一ふり者と云はれては悦び、我今の世間に合はぬ生れつきなどと云ひて、我が上あらじと思ふは、天罰あるべきなり。(聞書第一)
若き内に立身して御用に立つは、のうぢなきものなり。発明の生れつきにても、器量熟せず、人も請け取らぬなり。五十ばかりより、そろそろ仕上げたるがよきなり。その内は諸人の目に立身遅きと思ふ程なるが、のうぢあるなり。(聞書第一)
世に教訓をする人は多し、教訓を悦ぶ人はすくなし。まして教訓に従ふ人は
……恋の至極は忍恋と見立て候。蓬ひてからは恋のたけが低し、一生忍んで思ひ
端的只今の一念より外はこれなく候。一念一念と重ねて一生なり。(聞書第二)
人間一生誠に
少し眼見え候者は、我が
徳ある人は、胸中にゆるりとしたる所がありて、物毎いそがしきことなし。小人は、静かなる所なく当り合ひ候て、がたつき廻り候なり。(聞書第二)
兼好・西行などは、腰ぬけ、すくたれ者なり。武士
直茂公、「当時気味よき事は、必ず後に悔む事あるものなり」と、
勝茂公兼々御意なされ候には、奉公人は四通りあるものなり。急だらり、だらり急、急々、だらりだらりなり。(聞書第四)